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2011年3月23日 (水)

栗田智仁の桃の歴史

栗田智仁の桃の歴史

日本の昔話でもお馴染みの桃には、古い歴史があります。
中国が原産とされる桃は世界各国に広まり、今でも変わらず多くの人々に親しまれています。
中国での言い伝え、日本を含めた世界での歴史がモモにはあります。

桃の原産国は、中国と言われています。
誕生したてのときは“毛毛(モモ)”という名のとおり、硬い果肉の表面がたくさんの毛で覆われているものでした。

桃は『西遊記』の主人公、孫悟空が食べたことでも有名ですよね。
昔、中国で桃はただの果物ではなく、特別なものとして見なされていたんですよ。
それは、桃源郷の不老不死の“仙果(せんか)”として考えられていたのです。

『西遊記』の中で、孫悟空が任された仕事は3600本の桃の木が植えられている桃園の管理。
手前にある1200本の木になった桃を食べると、3000年に一度仙人になれて、真ん中の1200本の木の桃を食べると、今度はずっと年をとらずに、命を落とすこともない…。
そして、一番奥の1200本の木の桃を食べると、天地があらんかぎり生き長らえる、と言い伝えられていました。

また、中国では、このモモから“桃の節句”が誕生しました。
“桃の節句”についての詳しいことは、別のページで紹介しているので、そちらをご覧ください。

中国で誕生した桃は、シルクロードをたどり西域へ出て、ペルシャへと伝わっていきました。
1世紀ごろには古代オリエント一帯とギリシャ、ローマにも伝えられました。

17世紀にはアメリカ大陸にまできたと言われています。
中国からヨーロッパへと伝わった桃の果肉は品種改良が重ねられて、黄色に変化していきました。

私たちにもお馴染みの黄桃の缶詰…あれは今、おもにアメリカのカリフォルニア州で生産されているものなんですよ。
アメリカで作られた黄桃の缶詰は日本だけでなく、世界中に輸出されています。

ちなみに、缶詰に加工されるモモは、日本の白桃とアメリカの黄桃をかけ合わせて作った、缶詰専用のものです。
海外では白桃よりも黄桃のほうが、生で食べる果物としてはよく食べられていますね。
とくに欧米ではモモといえば、黄桃のイメージが強いのではないでしょうか。

では、日本での桃の歴史を見てみましょう。
モモが日本に伝わったのは、いつ頃のことなのでしょうか?古事記や日本書紀などの記録によると、弥生時代に伝わり、平安時代にはすでに水菓子として食べられていました。

けれど、当時のモモは今のようにそれほど甘いものではなかったため、観賞用または薬用のものとして使うことのほうが多かった…とも言われていますね。

明治時代に入って、強い甘さが特徴の水蜜桃が輸入されるようになり、多くの人が口にするようになりました。
そして、実際に日本でもモモが栽培されるようになったのは、江戸時代に入ってからのことです。

もっと本格的な栽培が始まったのは、明治時代だとされています。
明治32年には桃作りに情熱を注いでいた大久保重五郎氏が新種の“白桃”を発見し、それが岡山特産の白桃のルーツとなりました。
彼は“明治の桃太郎”とも呼ばれていたんですよ。
それ以来、次々と新種のモモが誕生しました。

大久保重五郎氏は、自分で見つけた新種のモモを“大久保”と名付けました。
これが、日本の白桃の歴史を大きく発展させたといっても過言ではありませんね。
この“大久保白桃”をはじめ、白桃の多くはやわらかい果肉が特徴的といえるでしょう。
このことは、日本のモモ独自の特徴とも言えます。

なかでも“大久保白桃”は、ほかの白桃に比べて早く熟し、たくさんの実をつけます。
さらに、とても甘く、果汁が多い品種でもあります。
種離れの良さから、最近はゼリーなどの加工品もよく作られ、人気があるんですよ。

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